西暦1824年。

ハプスブルク家の統治によるオーストリア帝国の首都ウィーンは、音楽の都として内外に知れ渡っていた。その中心となる存在は、シューベルト、サリエリ、そしてもちろんベートーベン。耳が聞こえないという音楽家としては致命的な病を患っていた彼は、しかし、そのたぐい稀な音楽性を以て作曲家としての確かな地位を築いていた。そんなベートーベンが、10年ぶりに新作の交響曲を発表するという噂にウィーンの街は熱気だっていた。  そして5月7日。ベートーベン作曲の交響曲第九番、後の世に通称「第九」と呼ばれ世界中で愛される事となる大曲が初演された。聴衆は熱狂し、何度もアンコールを送った。作曲家ベートーベンの栄光はここに極まったのである。  

しかし翌5月8日の早朝、祝賀パーティが行われたホテルでベートーベンの死体が発見された。犯人は宿泊していた4名の誰かであることは間違いない。彼らはお互いの調査を始めた。